現在は世界屈指の美術館として知られるルーヴル美術館。パリ中心、セーヌ河畔に堂々と佇むルーヴルは、数々の名作が眠る芸術の殿堂となっています。
しかし、ルーヴル美術館の魅力は展示される美術品だけではありません。その壮麗な建築自体も、何世紀にもわたる歴史を物語る芸術作品のひとつです。
今回は、そんなルーヴル美術館の知られざる歴史を、「第1章 : 壮麗なる建築物としての歴史」と「第2章 : 王宮から美術館へ──芸術の殿堂への道」の二つの視点からじっくり紐解いていきましょう。
要塞から始まった中世ルーヴルの物語
中世の要塞「ルーヴルの大塔」
ルーヴル美術館は、もともと12世紀に国王フィリップ2世(在位 : 1180〜1223)が築いた要塞でした。現在のクール・カレ(方形中庭)の南西側4分の1を占めていたこの要塞。一辺は約70〜80メートルの四辺形で、堀に囲まれ、塔を備え、2つの入口がありました。そして中央には強固な主塔「ルーヴルの大塔(Grosse tour du Louvre)」がそびえていました。また、13世紀以降には監獄としても使われていました。
この要塞は、セーヌ川を通じて侵入してくるヴァイキングなどの敵勢力からパリを守るために築かれました。当時、シテ島を中心とした現在より小さな都市だったパリ。そこを守るための防衛拠点として、ルーヴルは重要な役割を果たしていました。

💡中世の要塞跡はルーヴル美術館のシュリー翼地下1階で見学することができます
ルイ9世とシャルル5世による王宮化
聖王ルイ9世(在位 : 1226〜1270)の時代には要塞の拡張が行われました。また、「サン=ルイの間」など、防衛目的以外の空間も造られ始めました。そして王家の財宝もここに移され、ルーヴルは次第に王宮としての機能を帯びていきます。
しかし、本格的に王宮へと転換されたのは、賢王シャルル5世(在位:1364年〜1380年)の時代です。この頃、パリ市街が拡張、新たな城壁が築かれ、そしてルーヴルはその内側に組み込まれました。これにより、ルーヴルは防衛拠点であると同時に、王の居城としての役割も持つようになります。

ルネサンスの息吹:芸術と建築の融合
フランソワ1世とアンリ2世による改築
16世紀、フランソワ1世(在位:1515年〜1547年)の時代になると、ルーヴルは要塞からルネサンス様式の宮殿へと変貌を遂げていきます。フランソワ1世はイタリア戦争を通じてルネサンス文化に触れ、芸術によって王権を示そうとしました。
1546年、建築家ピエール・レスコによる改築計画が始まります。次の国王アンリ2世のもとでも、続けられました。アンリ2世は設計案を何度も変更させるほど熱心に関与しました。

また、この時期に完成した「カリアティードの間」は、ジャン・グジョンによる女性像が柱となってバルコニーを支えるなど、彫刻と建築が見事に融合した空間となっています。
💡「カリアティードの間」はシュリー翼0階、展示室348にあります。


アンリ4世の「グランド・ギャルリー」
1589年、宗教戦争後に王位についたアンリ4世は、ルーヴルとテュイルリー宮殿をつなぐ壮大な計画「グラン・デサン(Grand Dessein)」を開始します。この計画により、セーヌ川沿いに「グランド・ギャルリー」が建設されました。また、この回廊は、芸術家たちの制作・展示空間にもなりました。長さ約450メートルにおよび、当時のヨーロッパでは最長級の建築物でした。
しかし、1610年のアンリ4世の死により工事は中断され、北・東側には中世の建物が取り残されました。


古典主義への発展
ルイ13世・ルイ14世によるクール・カレ拡張
ルイ13世(在位:1610年〜1643年)は父の計画を引き継ぎ、建築家ジャック・ルメルシエによって「時計のパヴィリオン(Pavillon de l’Horloge)」を中心に西翼が建設されました。そして、中世の城壁は取り壊され、クール・カレは左右対称の構造へと整備されていきます。
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そして、ルイ14世(在位:1643年〜1715年)はルーヴルを公式な王宮とし、改修を本格化。ルイ・ル・ヴォーやクロード・ペローといった建築家のもと、ルーヴル東翼にはフランス古典様式の傑作「ルーヴルの列柱(Colonnade du Louvre)」が築かれました。
柱の内部に鉄材を使うなど、当時の最先端技術が導入されています。

未完の宮殿、未来の美術館へ
しかし、1678年、ルイ14世がヴェルサイユに政権の拠点を移すと、ルーヴルの工事は中断されてしまいます。クール・カレは未完のまま手付かずの状態となりました。また、東翼のファサードといえば、屋根さえない有様でした。
それでも、この時代にクール・カレは4倍の広さに拡張され、後の美術館としての基盤が築かれていたのです。

最終的に、ルーヴル全体の完成にはさらに1世紀以上を要することになります。

まとめ
中世の要塞からフランス王の居城、そして芸術の殿堂へと変貌していったルーヴル美術館。ルーヴルの建築は、歴代の王たちの思想や時代の美意識を反映する壮大な歴史の証人です。
次回の【第2章 : 王宮から美術館へ──芸術の殿堂への道】では、美術館としてのルーヴルの歩みをご紹介します。










