ルーヴル美術館にある《アポロンのギャラリー(アポロンの間)》は、かつての王宮の姿を彷彿させる、豪華な王冠などの宝飾品や煌びやかで華やかな装飾で訪れる人を魅了しています。
でも、ギャラリー完成までに実は2世紀以上の長い年月が流れていることをご存知ですか?典型的なフランス古典様式で統一された美しい内装装飾からは想像が出来ないかもしれません。
16世紀のテラス建築から始まり、火災による焼失、そしてルイ14世のもとでの再建と装飾──。
今回は、アポロンのギャラリーがどのようにして現在の姿になったのか、その歴史を解説します。
アポロンのギャラリーの起源
シャルル9世時代は屋根のないテラスだった
1566年、シャルル9世 は、セーヌ川に向かって延びる新しい建物の建設を開始しました。建築家フィリベール・ドロルムの設計により、王のパヴィリオン(王の居住区)に接続する列柱廊(ポルティコ)が建設され、その上部には屋上テラスが設けられます。
🔍フィリベール・ドロルムは、ルネサンス期フランスを代表する建築家の一人。
フォンテーヌブロー宮殿の改修やチュイルリー宮殿の初期設計にも関わった王室建築家として知られています。
これが、後に「プチット・ギャラリー(Petite Galerie)」と呼ばれる建物です。現在のアポロンのギャラリーは、このプチット・ギャラリーの位置にあります。

Petite Galerie(プチット・ギャラリー)と書かれたところが、のちの〈アポロンのギャラリー〉

アンリ4世による〈王のギャラリー〉
もともと天井のないテラス構造だったプチット・ギャラリーは、アンリ4世の治世下で大きく改築されます。
1595年から1610年にかけて、アンリ4世はセーヌ川沿いに全長約450メートルにも及ぶ壮大な回廊、グランド・ギャラリーを建設しました。これに伴い、プチット・ギャラリーの上部も室内空間として整えられ、フランス歴代の王や王妃の肖像を飾る「王のギャラリー」として利用されるようになります。
この空間には、伝説上の最初のフランク王とされる ファラムンから始まり、アンリ4世に至る王統の系譜や、聖王ルイ9世からアンリ4世までのフランス国王と王妃の等身大の肖像画が並んでいたと伝えられています。
アンリ4世は前王アンリ3世の直系ではなく、親戚にあたるブルボン家の出身でした。最初の妻マルゴはアンリ3世の妹でしたので、アンリ3世の義理の弟にあたります。そのため、自らの王統の正当性を示すことは、王としての権威を確立するために必要不可欠だったと考えられます。
プチット・ギャラリーの火災
1661年2月6日、ルーヴル宮殿のプチット・ギャラリーで火災が発生しました。宮廷バレエ上演の準備中に発火、ギャラリーの上階とその装飾の大部分が焼失してしまいます。
建築装飾や壁画の多くが失われましたが、火の中から唯一救い出されたと伝えられているのが、王妃マリー・ド・メディシスの肖像画でした。
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(プールブス(子)作)
この肖像画のみ火災の被害を免れました
🔍 マリー・ド・メディシスの肖像画は現在、ルーヴル美術館リシュリュー翼3階(フランス式2階)の803番展示室に展示されています。
この火災後すぐに、若き国王ルイ14世はプチット・ギャラリーの再建を命じます。こうして誕生したのが、現在の「アポロンのギャラリー」です。
アポロンのギャラリー誕生
太陽の象徴アポロンと太陽王ルイ14世
当時23歳の若き国王ルイ14世は、太陽を自らの象徴として用い始めていました。そこで、新しいギャラリーの主題として選ばれたのが、ギリシャ神話の光と芸術の神アポロンです。
焼失したプチット・ギャラリーの再建にあたり、ルイ14世が目指したのは、単なる修復ではなく、自らの権威を象徴するまったく新しい空間でした。王は太陽神アポロンと自らを重ね合わせ、宇宙の秩序そのものが王を中心に成り立つことを示そうとしたのです。
改築を担ったのは、フランス古典主義建築を代表する建築家ルイ・ル・ヴォー でした。
🔍 ル・ヴォーはヴォー・ル・ヴィコント城や後のヴェルサイユ宮殿の建設にも関わり、ルイ14世の宮廷建築を支えた人物です。
装飾計画は、財務総監ジャン=バティスト・コルベールの主導により、王の首席画家シャルル・ル・ブランに託されました。ル・ブランは壮大な装飾構想を描き、当時最高峰の芸術家たちを率いて制作にあたります。
こうして誕生したアポロンのギャラリーは、ルイ14世のための最初の壮麗な王室装飾空間となり、後に建設されるヴェルサイユ宮殿の「鏡の間」の先駆けともいわれています。
ル・ブランの装飾プログラム
このギャラリーの装飾を構想したのは、宮廷画家シャルル・ル・ブラン です。

(Nicolas de Largillière作)
ルーヴル美術館所蔵
この絵の中でル・ブランが手にしているのは、ヴェルサイユ宮殿「鏡の間」の天井画、《フランシュ=コンテ征服》の縮小版です。この主題は、当時ハプスブルク家の支配下にあったフランシュ=コンテをルイ14世が征服した出来事(1674年)を称えるものです。現在もヴェルサイユ宮殿「鏡の間」の天井装飾の一部として展示されています。こうした王の栄光を視覚化する手法は、アポロンのギャラリーの装飾にも通じています。
ル・ブランの装飾計画は、ギャラリーを単に神話画で飾ることではなく、王を中心とした宇宙の秩序を表現する壮大な視覚プログラムでした。
① 太陽の運行
太陽が昇りそして沈む一日の流れが4つの天井画で表現されています。
- 《明けの明星、またはカストル アントワーヌ・ルヌ作》(1781年)
- 《曙 シャルル=ルイ ミュレ作 》(1851年)
- 《夕べ(またはモルペウス)シャルル ル・ブラン作》(1664〜77年)
- 《夜(またはディアナ)シャルル ル・ブラン作》(1664〜77年)

《明けの明星、またはカストル アントワーヌ・ルヌ作》(1781年)

《曙 シャルル=ルイ・ミュレ作 (1851年)》
(出典: Wikimedia Commons, License: CC BY-SA 4.0)
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《夕べ(またはモルペウス)シャルル ル・ブラン作》
(出典: Wikimedia Commons, Public domain)

《夜(またはディアナ)シャルル ル・ブラン作》
(出典: Wikimedia Commons, License: CC BY-SA 4.0)
② 時間の流れ
一年の時間の流れや季節の変化が浮き彫り装飾(ストゥッコ)や天井画で表現されています。
- 十二か月それぞれの月の仕事や暮らしの様子を題材にしたストゥッコのメダイヨン(円形の装飾)
- 「四季」を表現した四つの絵画 → 次の章「18世紀に追加された主な作品」で解説しています
- 詩や音楽を司るミューズたちのストゥッコ→ アポロンは太陽神であると同時に芸術の守護神でもあるため
③世界の広がり
大地と水、さらに四大陸(ヨーロッパ・アジア・アフリカ・アメリカ)を象徴したストゥッコによって、世界全体が表されています。(⚠️当時はまだオーストラリア大陸は含まれていませんでした)

「四大陸」のうち《アメリカ大陸》を表すストゥッコ
(出典: Wikimedia Commons, License: CC BY-SA 4.0)
アメリカインディアンの羽槍のようなものを肩に背負っています。
そして、天井の中心には太陽神アポロン=ルイ14世を象徴する大天井画があります。
つまりアポロンのギャラリーは、時間、空間のすべてが王を中心に動く世界観を表現しているのです。
しかし、この壮大な装飾計画はル・ブランの生前には完成されませんでした。ルイ14世のヴェルサイユ宮殿移転後、アポロンのギャラリー装飾計画は中断、天井には未装飾の部分が残されたままとなりました。
18世紀のアポロンのギャラリー
王立アカデミーの画家たち(1769–1781)の功績
ルイ14世がヴェルサイユ宮殿へ移った後の1692年、ルーヴルに設置された王立絵画彫刻アカデミー。このアカデミーにより、未完成だった天井の空白部分を埋める事業が進められました。新たにアカデミーへ入会する画家たちが提出する「入会制作(モルソー・ド・レセプション)」の展示の場としても用いられました。
18世紀に追加された主な作品
この時期に加わったのが、「四季」を主題とする4作品と、「明けの明星」を描いた作品です。

《春、またはキュベレに花冠を授けるゼピュロスとフローラ》
(1780–1781年)
花の神フローラと風の神ゼピュロスにより大地に春が到来する様子が描かれています。自然の再生と生命の始まりを告げるシーンです。
アントワーヌ=フランソワ・カレはこの作品で認められ、1781年アカデミー会員となりました。
(出典: Wikimedia Commons, Public domain)

《夏、または太陽に懇願するケレスとその仲間たち》
(1774年)
豊穣の女神ケレスが、太陽の恵みを願い求める場面が描かれています。実りの季節を迎える前の、夏の強い日差しを思わせる色彩が印象的です。
ルイ ジャン=ジャック・デュラモはこの作品で1774年アカデミーに迎えられました。
(出典: Wikimedia Commons, Public domain)

《秋(又はバッカスとアリアドネの勝利》
(1769年)
酒の神バッカスが勝利を祝い歓喜するシーンを捉えています。秋の収穫と豊穣の歓びを象徴しています。
この作品により、1769年ユーグ・タラヴァルはアカデミー会員となりました。
(出典: Wikimedia Commons, Public domain)

《冬、または山々を雪で覆う風を解き放つアイオロス》
(1775年)
風の神アイオロスが冬の寒風を吹き荒らす場面が描かれています。
作者ジャン=ジャック・ラグルネはこの作品で1775年、アカデミー会員として迎えられます。
(出典: Wikimedia Commons, Public domain)

《明けの明星、またはカストル》
(1781年)
夜から朝へと移り変わる瞬間を描いた作品です。
この作品も作者アントワーヌ・ルヌのアカデミー入会のきっかけとなりました。
(出典: Wikimedia Commons, Public domain)
19世紀のアポロンのギャラリー
フェリックス・デュバンの事業(1848–1854)
1848年、ギャラリーの修復は建築家フェリックス・デュバンに託されました。
🔍 フェリックス・デュバンは、ロワール河の古城のひとつブロワ城やサント・シャペルの修復や、フランス革命後に荒廃したシャンティイ城の再整備にも関わった建築家です。
この修復で起用されたのは、当時サロンで活躍していたドラクロワを代表とする画家達です。この事業により、いまだル・ブランのデッサンのままだった3点の作品が完成しました。
- 《大地の勝利(またはキュベレの勝利)(ギシャール作)》(1850年)
- 《曙 (ミュレ作) 》(1851年)
- 《ピュトンを打ち破るアポロン (ドラクロワ作)》(1851年)

北側の壁にかかる絵画は、「地」を象徴する《大地の勝利(またはキュベレの勝利)》
ジョゼフ=ブノワ・ギシャール作、1850年
(出典: Wikimedia Commons, Public domain)

《曙》 (シャルル=ルイ・ミュレ作 1851年)
(出典: Wikimedia Commons, License: CC BY-SA 4.0)
ウジェーヌ・ドラクロワの大天井画
《ピュトンを打ち破るアポロン》(ウジェーヌ・ドラクロワ作)は、このギャラリーの代表作と言える、まさに全ての作品の中心に位置する太陽神アポロン=ルイ14世の象徴を力強く描いたものです。

この作品を完成させた時、ドラクロワは53歳。ロマン主義を代表する画家としてすでに高い評価を確立しており、色彩と動きに富んだ表現で19世紀フランス絵画に大きな影響を与えました。
🔍 パリには彼のアトリエ兼住居を公開した〈ウジェーヌ・ドラクロワ美術館〉があります。ルーヴルの入場券で、来館当日または翌日にあわせて追加料金なしで入館することができます。
時間に余裕があればあわせて立ち寄るのもおすすめです。
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⛔️ 現在(2026年4月)、アポロンのギャラリーは修復のため閉鎖されています。最新の公開状況については、今後も本サイトで随時更新していきます。
まとめ|太陽王のアポロンのギャラリーの意味
アポロンのギャラリーは、単なる華やかな展示室ではありません。
16世紀のテラス建築に始まり、火災による焼失、そして再建と改装を経て、2世紀以上の時間をかけて現在の姿へと完成しました。
とりわけ、ルイ14世の時代に構想された装飾は、王の権威を可視化する壮大なプログラムとして、この空間に明確な「政治的意図」が秘められています。
こうした王権表現の試みは、その後、ヴェルサイユ宮殿にて、さらに壮大なスケールで展開されていきます。
アポロンのギャラリーは、絶対王政を築き上げていく若き日のルイ14世が、『権力の象徴』を世界に知らしめるための、出発点であったと言えるのかもしれません。
実際にこのギャラリーに足を踏み入れてみると、つい目が行くのは煌びやかな展示品かもしれません。でも、天井画をはじめとするひとつひとつの装飾にも視線を向けてみてください。
その歴史的な背景を知った上で見上げる天井画は、知らずにただ眺める時とはまったく違って見えるはずです。
この記事が、皆さまのアポロンのギャラリー鑑賞をより深いものにする手がかりとなれば幸いです。











